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東京都墨田区の歴史
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所在地 墨田区両国2-8-10 (回向院)

 鼠小僧供養塔
「墨田区民俗文化財指定」(平成14年5月29日)
  墓石の高さ100cm 幅710cm 奥行き55cm
  台石の高さ35cm  幅116cm 奥行き78cm
  石組の墓壇の高さ65cm 幅150cm 奥行き130cm
  を測る(安山岩製)
碑の正面には「天保2年(1831)8月18日」
「俗名中村次郎吉之墓」「教覚速善居士」「道一書」
裏面には「大正15年(1926)12月15日建立」
左側には「永代法養料金五拾園也 細川仁三」と刻まれている



 鼠小僧は寛政9年(1797)生まれの実在の盗賊であり「武江年表」によると天保3年(1832)8月19日に浅草で処刑されている
 「甲子夜話」によれば 武家屋敷にのみ押し入ったため 庶民からは義賊扱いされていると記されている 後に幕末の戯作者 河竹 黙阿弥が 権力者である大名家に自在に侵入し被権力者側である庶民に盗んだ金を配るという虚構の鼠小僧を主人公とした作品を世に送り出したことから人気に火がつき演劇界においては 現在まで続く当り狂言の一つとなった
明治12年(1879)1月の「朝野新聞」によると歌舞伎の市川一門の一人である 市川 団升が 狂言が当った礼として碑と永代供養料10円の寄付を行うほどの熱の入れようであったと伝えており 施主として刻まれ 墓の横にも石灯籠を寄進している
細川 仁三とは市川 団升のことであるとみる説もある
文学界においても芥川龍之介が「戯作三昧」・「鼠小僧次郎吉」・「復習」と3度題材に取り上げるなどとしており 虚構の鼠小僧の人気は高い
江戸時代 犯罪者には墓を作ることが禁止されていた しかし歌舞伎や狂言での成功によって 祈願対象物としての墓の必要性が生じこの供養碑が作られたと思われる

※他方 供養墓の前にある小さな供養碑は正面に供養墓同様「教 覚 速 善 居 士」と刻まれているが別名「欠き石」とも呼ばれるものである
鼠小僧の墓石を欠き 財布や袂に入れておけば 金回りが良くなる あるいは持病が治るとも言われ 成就した人々の奉納した欠き石は数年ごとに建て替えられ続け 現在までに数百基にも及んでいるという
発生時期は不明であるが 明治18年(1885)に初演された 河竹木阿弥の「四千両小判梅集」には台詞の中で この信仰の事が触れられている
 
「この供養碑は変貌著しい墨田区と歌舞伎とのかかわりを示す資料でもあり ここには また庶民のささやかな幸福追求の対象物としての価値も含まれる」
                        (墨田区史より)

 
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