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東京都墨田区の歴史
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所在地 墨田区両国2-8-10 (回向院)

   国技館(大鉄傘)跡
 相撲は、もともと神事であり、礼儀作法が重んじられてきました。現代の大相撲は、江戸時代の勧進相撲を始まりとします。回向院境内にある、「回向院相撲記」には、天保4年(1833)から国技館に開催場所が移されるまでの76年間、相撲興行本場所の地であった由来が記されています。
 国技館は、この回向院の境内に明治42年(1909)に建設されました。32本の柱をドーム状に集めた鉄骨の建物は大鉄傘とも呼ばれ、1万3千人収容の当時最大規模の競技場でした。日本銀行本店や東京駅の設計で著名な辰野金吾が設計を監修しました。
 相撲興行は、戦後もGHQに接収されていた国技館で行われました。しかし、メモリアルホールと改称された後は本場所の開催が許されず、明治神宮外苑や浜町公園の仮設国技館での実施を経て、台東区に新設された蔵前国技館における興行に至ります。一方、接収解除後のメモリアルホールは、日本大学講堂となりますが、老朽化のため昭和58年(1983)に解体されました。そして昭和60年(1985)、地元の誘致運動が実を結び、JR両国駅北川の貨物操車場跡に新国技館が完成、「相撲の町両国」が復活しました。
 大鉄傘跡地は現在複合商業施設となっていますが、中庭にはタイルの模様で土俵の位置が示されています。  
 平成20年(2008)3月 墨田区教育委員会
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