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東京都墨田区の歴史
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所在地 墨田区東駒形3-15-10 (桃青寺)

 長谷川馬光墓
 長谷川馬光は、江戸時代中期の俳人です。貞享4年(1678)に生まれ、始めは藤原直行と称しました。父は、本所に屋敷があった津軽弘前藩の藩医でした。幼名を孫太郎といい、のちに親戚筋に当たる御家人・長谷川直隆の養子になりましたが、元禄7年(1694)、8差にして直隆の跡を継ぎ、享保11年(1726)には西丸小十人(御当番)に列しました。
 馬光は、俳諧を蕉門十哲の一人、其日庵・山口素堂に学び、のちに其日庵二世を襲名しました。享保10年(1725)に中川宗瑞、松本珪林、大場蓼和、佐久間柳居とともに「五色墨」の運動を起こし、6年後には冊子刊行され、俳壇が蕉風復古に大きく傾斜していく契機を作ったと評価されています。
 寛保3年(1743)頃には、寺内に芭蕉堂を作り、松尾芭蕉・山口素堂の像を安置しました。残念ながら、芭蕉堂は現存しません。著書には「湯山紀行」、「藪鶯」、「かさね笠」などがあります。馬光の門下として、「説叢大全」を著した溝口素丸等が出ています。宝暦元年(1751)、「振かへる谷の戸もなし郭公」の一句を最期に65歳で没しました。
 桃青寺は、松尾芭蕉わらじ脱ぎの伝説が残されています。また、山号は芭蕉山、寺号が芭蕉の俳号のひとつである桃青を称する点からも、松尾芭蕉ゆかりの寺であったことを偲ばせます。
 平成11年(1999)3月 墨田区教育委員会
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