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東京都墨田区の歴史
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所在地 墨田区両国4-34 (棒稲荷神社)

 葛飾北斎住居跡
 この辺りには、江戸時代に武士が馬術を訓練するための馬場が設けられていました。東西約185m、南北約22mの広さがあり、馬場を囲む土手に大きな榛があったので「榛馬場」と呼ばれました。馬場に祀られていたのが「榛稲荷神社」です。
 本所(現在の墨田区南部)に生まれた絵師葛飾北斎は、この稲荷神社のすぐ近くに住んでいたことがありました。北斎は90歳で没するまで常に新しい技法を試み、「冨岳三十六景」に代表される錦絵だけではなく、肉筆画も手がけ、数多くの作品を生み出しました。
 榛馬場の辺りに住んでいた当時の様子を伝えるのが、「北斎仮宅写生」(露木為一筆)です。絵を描く老いた北斎と娘の阿栄が描かれています。阿栄も優れた絵師でした。その暮らしぶりを飯島虚心は「蜜柑箱を少し■高く釘づけになして、中には、日蓮の像を安置せり。火鉢の傍には、■■■■取ちらし、物置と掃溜と、一様なるが如し」(『葛飾北斎伝』)と記しています。北斎がこの地に暮らしたのは天保末年頃(1840年頃)で、80歳を越えていたと思われますが、絵を描くこと意外は気にも留めないような暮らしぶりが見てとれます。
 北斎は生涯で90回以上も転居を繰り返したとされていますが、居所のすべてが正確に分かっているわけではありません。榛馬場の北斎住居跡は、ある程度場所の特定ができ、絵画資料も伴うものとして貴重な例です。
 また、幕末明治期に活躍した政治家勝海舟もこの近くで生まれ育ちました。海舟の父、勝小吉の自伝『夢酔独言』の中にも、榛稲荷神社についての思い出が記されています。
 平成21年(2009)3月 墨田区教育委員会

    Site Associated with Katsushika Hokusai
 Katsushika Hokusai (1760-1849) is a famous Edo period ukiyo-e artist.He is particularly w■■  known for his series of prints,The Thirty-six Views of Mount Fuji.Hokusai's daughter,pictured here w■■ her aged father,was also a talented artist. This reproduction drawing entitled "Hokusai's Tempor■■ House" was made by Tsuyuki Iitsu,one of Hokusai's disciples,and he wrote that the house was near the Honnoki Inari Shrine.It is said that  Hokusai moved more than ninety times among his life.While ■■ locations of most of his homes are unknown,we have been able to identify that Hokusai lived in this are for a while.
 Katsu Kaishu (1823-1899) was a late Edo and Meiji period statesman.He was also born and raised in this neighborhood.
 Board of Education,Sumida City
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