東京都墨田区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 墨田区 ~ 江東区 二ッ目通り(清澄通り) 明暦3年(1657)江戸の大半を灰にした例の明暦大火の後、幕府は市街地の区画大整理を行いました。万治2年(1659)、江戸城の再興と共に開始された大事業は寛文元年(1661)に完了しました。開拓は道路と河川を一体的に整備したもので東西及び南北を軸とした、直線的な計画がなされていました。その中で、深川地区は堅川の掘削の後、架けられた橋に西から一之橋、ニ之橋・・・・五之橋と名付けられました。その後、各々の橋の通りが通り名となったようです。二ツ目通りは堅川ニ之橋通りと呼ばれ、その後簡略化され、二ツ目の橋通りを経て、二ツ目通りと呼ばれるようになりました。江戸名所図絵には五間堀に架かる立派な弥勒寺橋と共に堅川ニ之橋通りの名が残されています。 PR |
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永山
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