東京都墨田区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 墨田区向島1-3 (隅田公園) 富田木歩終焉の地 富田木歩とみたもっぽは本名を一といい、明治30年(1897)に墨田区向島2丁目の鰻屋の次男に生まれました。2歳のとき両脚の自由を失い、小学校に入学できず、彼はいろはカルタ等で遊びながら文字を覚えました。 たびたびの洪水で家は貧乏のどん底に陥り、2人の姉は苦界に身を沈め、妹は女工に弟も内職の手伝い、彼も徒弟奉公に出ました。しかし仲間に辛く当られ仕方なくやめました。こうした苦しみと孤独の中で、彼は俳誌『ホトトギス』を知り、俳句に惹かれます。 やがて、彼は臼田亜浪に師事して句作に精進し、その俳句は高く評価されるようになります。彼を理解し援助する新井声風という俳友もでき、彼に俳句を学ぶものもできました。しかし、妹も弟も肺患で死に彼自身も肺を病むといった苦境での句として、 かそけくも 咽喉(うど)鳴る妹(いも)よ 鳳仙花(ほうせんか) 木歩は関東大震災にあり、声風に背負われて墨堤に避難しましたが、枕橋が焼けて逃げられず、このあたりで焼死しました。26歳でした。 平成元年(1989)3月 墨田区 PR |
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永山
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男性
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