東京都墨田区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 墨田区両国2-8-10 回向院 明暦3年(1657)、江戸史上最悪の惨事となった明暦大火(俗に振袖火事)が起こり、犠牲者は10万人以上、その多くが身元不明、引取り手のない有様でした。そこで4代将軍家綱は、こうした遺体を葬るため、ここ本所両国の地に「無縁塚」を築き、その菩提を永代にわたり弔うように念仏堂が建立されました。 有縁・無縁、人・動物に関わらず、生あるすべてのものへの仏の慈悲を説くという理念のもと、「諸宗山無縁寺回向院」と名付けられ、後に安政大地震、関東大震災、東京大空襲など様々な天災地変・人災による被災者、災難事故による溺死者、遊女、水子、死刑者、諸動物など、ありとあらゆる生命が埋葬供養されています。 ぶらり両国街かど展実行委員会 明暦3年(1657)江戸大火(振袖火事)に依る死者10万8千余人を弔うために建立される。 本尊 阿弥陀如来 安政大地震(1855)の死者2万5千人余を初めとして、江戸府内の無縁佛、天災地変に因る死者も埋葬され、近くは大正12年(1923)の関東大地震の死者10万余人の分骨も納骨堂に安置されています 江戸時代の雰囲気を伝える史跡記念碑墓地がある 明暦3年(1657) 大火石塔 安政2年(1855) 大地震石塔 鼠小僧次郎吉墓 水子塚(寛政5年〔1793〕) 松平定信建立 猫に小判の話 猫塚 勧進相撲発祥の地記念 力塚 呼び出 定火消墓 木遣塚 諸動物供養塔 竹本義太夫墓 岩瀬京傳墓 岩瀬京山墓 加藤千陰墓 第二次世界大戦前の回向院 万霊供養塚 回向院には『鼠小僧供養墓』、『加藤千陰墓』、『岩瀬京伝墓』、『岩瀬京山墓』、『国技館(大鉄傘)跡』、『旧国技館跡』、『相撲関係石碑群(力塚)』、『石造明暦大火 横死者等供養等』があります。 木遣塚 Eko-in Temple This old temple of the Pure Land School of Japanese Buddhism(Jodo-shu) is the site of a memorial to more than 100,000 victims of a great fire in the seventeenth century as well as the grave of Edoperiod folk hero Nezumi Kozo. PR |
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永山
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