東京都墨田区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 墨田区両国2-8-10 (回向院) 相撲関係石碑群〈力塚〉 墨田区と相撲の関わりは、明和5年(1768)9月の回向院における初めての興行にさかのぼります。以後、幾つかの他の開催場所とともに相撲が行われていました。 天保4年(1833)10月からは、回向院境内の掛け小屋で相撲の定場所として、年に2度の興行が開かれ、賑わう人々の姿は版画にも残されています。 明治時代に入っても、相撲興行は回向院境内で続いていましたが、欧風主義の影響で一時的に相撲の人気が衰えました。しかし、明治17年 (1884)に行われた天覧相撲を契機に人気も復活し、多くの名力士が生まれました。そして、明治42年(1909)に回向院の境内北に国技館が竣工し、天候に関係なく相撲が開催できるようになり、相撲の大衆化と隆盛に大きな役割を果たしました。 力塚は、昭和11年(1936)に歴代相撲年寄の慰霊のために建立された石碑です。この時にこの場所に玉垣を巡らせ、大正5年(1916)に建てられた角力記と法界万霊塔もこの中に移動しました。 現在は、相撲興行自体は新国技館に移りましたが、力塚を中心としたこの一画は、相撲の歴史が76年にわたり刻まれ、現在もなお相撲の街として両国の姿を象徴しています。 平成11年(1999)3月 墨田区教育委員会 PR |
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永山
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