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東京都墨田区の歴史
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所在地 墨田区両国2-13

 緑雨は、慶応3年(1867)伊勢国神戸に斎藤利光、のぶの長男として生まれました。本名賢(まさる)、のち緑町に因み緑雨と号しました。
 11歳の時、両親と上京、やがて父が藤堂家の侍医となったため本所緑3丁目(現2丁目)の藤堂邸に住みました。小学校は弥勒寺(みろくじ)に近い土屋学校や江東小学校(現両国小)多数校を転々とし、最後は明治法律学校(明治大学の前身)を中退して終わっています。
 しかし、年少から才気あふれ、筆力は冴え、観察は鋭く人々を驚嘆させました。18歳の時、其角堂永機(きかくどうえいき)に俳諧を学び、その紹介で仮名書垣魯文を訪ね、彼が主筆の「今日新聞」の校正係となりました。やがて作家の途を進み、『油地獄』等の傑作や、辛辣や文壇批評で知られました。明治37年(1904)4月、奇行の多い人生をこの地に閉じました。戒名「春暁院緑雨醒客」は幸田露伴がつけました。
  墨田区教育委員会


 
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