東京都墨田区の歴史
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所在地 墨田区横網2-3-25 (横網町公園)
丸善ビルの鉄柱溶塊 大正12年(1923)9月1日の関東大震災の時に猛火と熱風にて溶解した 印刷機 当時、神田区(現在の千代田区)美土代町にあった三秀社印刷工場内で、火災により焼損した印刷機である。 花崗岩 日本銀行の建築材として使用されていた花崗岩の残がい。震災の猛威は頑強な建築物をも破壊してしまったのである。 魚形水雷 東京高等商船学校(現東京商船大学)内で焼損した魚形水雷(魚雷)の残がいである。 自動車の焼骸 自動車のボディが焼失し、シャシーだけが残ったもの。この自動車は、車両番号第一号という古い歴史を持ち、銀座の明治屋商店で震災直前まで使用されていたという。 大鉄管 鳥居の柱 釘の溶塊 大日本麦酒株式会社吾妻橋工場内で、樽に入った釘が震災の猛火による高熱のため、大熔塊となったものである。 鉄筋コンクリート柱 鉄柱の溶塊 大日本麦酒株式会社吾妻橋工場内の鉄柱が、猛火により溶解し、かたまりとなってしまったものである。 天水桶 百馬力電動機 大日本麦酒株式会社吾妻橋工場内で焼損した、100馬力の電動機。 洋釘の焼塊 深川区清澄町倉庫に貯蔵してあった樽入りの釘が、火災による高熱のため溶解し、ひとつのかたまりとなったものである。 PR |
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永山
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