東京都墨田区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 墨田区江東橋3-13 (錦糸町駅前) 伊藤左千夫牧舎兼住居跡・歌碑 この地には、明治時代の歌人で小説家としても活躍した伊藤左千夫の牧舎と住居がありました。 左千夫、本名幸次郎は、元治元年(1864)8月18日に上総国武射郡殿台村(現在の千葉県山武市)の農家の四男として生まれました。 18歳の時上京して明治法律学校に入学しましたが、眼病のため中退、農業に従事しました。 22歳の時再び上京、神田の牛乳店豊功舎に勤めました。その後、いくつかの店をかわり、26歳の4月にはこの地に牧舎つき住居を購入して独立、牛乳搾取業を始めました。毎日18時間も働いたと自ら記しています。 30歳、同業の伊藤並根に茶の湯、短歌を学びました。当時春園と号し、桐の舎桂子の月例会に出席、『牛飼が歌よむ時に世の中の新しき歌大いにおこる』を発表して好評を得ます。 やがて、短歌革新運動を進める正岡子規に共鳴して、1900年その門に入り、作歌に励みます。子規も、その才能を高く評価し、根岸派の有力な一員となります。 子規歿後は、根岸派の機関誌『馬酔木(あしび)』『アララギ』により活発に作歌を続け、多くの著名な歌人を育てました。なお、左千夫には『野菊の墓』等の小説、写生文、歌論、新体詩等のすぐれた作品がたくさんあります。 1913年7月30日、転居先の江東区大島で脳溢血のため急逝し、亀戸の普門院に葬られました。大正2年(1913)7月30日50歳没。 昭和59年(1984)3月 墨田区 よき日には 庭にゆさぶり 雨の日は 家とよもして 児等が遊ぶも 伊藤左千夫 左千夫と牛(本所茅場町牧社にて)(山武市歴史民俗資料館所蔵) Ito Sachio's monument and ex dwelling and cattle stall Poet and writer ITO Sachio(1864-1913),known for his sentimental love story 'Nogiku no haka', as a young man had his residence and dairy farm here at what is now the square of JR Kinshicho station. 本所茅場町の牛舎(左から3人目が左千夫)(山武市歴史民俗資料館所蔵) 岡麗 撮影 明治41年(1908)頃 PR |
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永山
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