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東京都墨田区の歴史
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所在地 墨田区
 ~ 江東区

  二ッ目通り(清澄通り)
 明暦3年(1657)江戸の大半を灰にした例の明暦大火の後、幕府は市街地の区画大整理を行いました。万治2年(1659)、江戸城の再興と共に開始された大事業は寛文元年(1661)に完了しました。開拓は道路と河川を一体的に整備したもので東西及び南北を軸とした、直線的な計画がなされていました。その中で、深川地区は堅川の掘削の後、架けられた橋に西から一之橋、ニ之橋・・・・五之橋と名付けられました。その後、各々の橋の通りが通り名となったようです。二ツ目通りは堅川ニ之橋通りと呼ばれ、その後簡略化され、二ツ目の橋通りを経て、二ツ目通りと呼ばれるようになりました。江戸名所図絵には五間堀に架かる立派な弥勒寺橋と共に堅川ニ之橋通りの名が残されています。
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所在地 墨田区立川1-1-1

新義真言宗
 萬徳山 徳上院
 


所在地 墨田区立川1-2-2

新義真言宗
 満徳山 龍光院
 


所在地 墨田区立川1-4-13

真言宗豊山派
 萬徳山 聖光院 弥勒寺



 弥勒寺には『杉山和一墓』、『観音聖像』があります。


 


所在地 墨田区立川1-4-13 (弥勒寺)

 観音聖像
 父を求め母を尋ね子を探し妻を呼ぶ声よりも凄さまじい火炎と爆撃の中で、1945年(昭和20年)3月10日の朝を迎へました。町は焦土と化し人は黒焦げの死体となって数限りなく広がって居りました。
 戦争は恐ろしい大地震火災よりも怖ろしく、被害はその何層倍にも及びました。1時間に十萬の屍体と言ふ、人間の起こした争いの惨酷さ、而してこれを超克して愛と安らぎを求めるには、大慈悲心にすがり佛の叡智を借りること以外にありません。
 この聖像のもとに三千五百体の遺骨を収納し、永代にお慰めすることは生き永らへた人間の務めでもあり仕事でもありましょう。
 多くの記録、悲惨なエピソードは他の戦災記にゆずり、この下町の一角に所在する聖像を仰ぐとき、之は戦災の最も端的な記念碑でもあり、亦人間の心の基準を示すきびしい御姿でもありましょう。
 茲に戦災殉難の御魂をお慰め申上げ、併せて関東大震災に依り倒れた地元の人々の過去霊に対し、恭々しく合掌し冥福を祈るものであります。
 昭和52年(1977)3月10日丗回忌
 弥勒寺五十六世 岩堀至道 敬白
 弥勒寺奉賛会々長 田中牛造
 平成24年(2012)3月10日  
 株式会社ペルストーン工房 寄贈


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