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東京都墨田区の歴史
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所在地 墨田区両国3-13-9  (本所松坂町公園)

  吉良邸跡



 なまこ壁に囲まれた東京都指定史跡「吉良邸跡」があります。元禄15年(1702)12月14日、赤穂四十七士が討入ったところで、「忠臣蔵」で知られるところです。
 現在、吉良邸跡は墨田区の本所松坂町公園として保存されています。昭和9年(1934)地元両国3丁目町会有志が発起人になって、邸内の「吉良の首洗い井戸」を中心に土地を購入し、昭和9年(1934)3月に東京市に寄付し貴重な旧跡が維持され、昭和25年(1950)9月に墨田区に移管されました。
 毎年12月14日、義士討入りの日には、両国連合町会主催の「義士祭」、12月の第2または第3土曜日・日曜日には両国3丁目松坂睦主催の「吉良祭」や地元諸問屋出展の「元禄市」が開催され、大変な賑わいを見せます。



 吉良上野介義央(よしひさ)の屋敷は広大で、東西七十三間、南北三十五間で、面積は約2千550坪(約8400平方メートル)だったとされています。現在、吉良邸跡として残されている本所松坂町公園は、当時の八十六分の一の大きさに過ぎません。
 吉良上野介が隠居したのは元禄14年(1701)3月の刃傷事件の数ヵ月後で、幕府は呉服橋門内にあった吉良家の屋敷を召し上げ、代わりにこの本ところ二ツ目に新邸を与えています。討入りは翌元禄15年(1702)12月14日ですから、1年半に満たない居住でした。
 園内には、吉良上野介の首を洗った井戸を再現したり、吉良上野介を祀った稲荷神社が残されています。


  吉良上野介追慕碑


  首洗い井戸

    本所松坂町公園由来
 この公園は「忠臣蔵」で広く知られる赤穂義士の討入があった、吉良上野介義央の上屋敷跡です。
 その昔、吉良邸は松坂町1、2丁目(現両国2、3丁目)のうち約8400平方メートルを占める広大な屋敷でしたが、年を経て一般民家が建ちならび、いまではそのおもかげもありません。
 昭和9年(1934)3月地元町会の有志が、遺跡を構成に伝えようと、旧邸跡の一角を購入し史跡公園として、東京市に寄付したもので、昭和25年(1950)9月墨田区に移管されました。
 周囲の石壁は、江戸時代における高家の格式をあらわす海鼠壁長屋門を模した造りで、周囲には、元吉良邸にあった著名な井戸や稲荷社などの遺跡があり当時をしのばせております。また内部の壁面には義士関係の記録や絵画が銅板で展示されております。
                         墨田区


  吉良家家臣二十士碑

  吉良家家臣二十士

小林平八郎           小堺源次郎
清水一学             大河内六郎右衛門
新貝弥七郎           鳥井利右衛門
斎藤清左衛門         須藤与一右衛門
牧野春斎            鈴木元右衛門
森半右衛門           笠原長太郎
 権十郎            榊原平右衛門
 曽右衛門           鈴木松竹
大須賀次部右衛門  杉山三左衛門
左右田源八郎         清水団右衛門

元禄15年(1702)12月15日未明旧赤穂藩士が吉良上野介邸を襲撃した際吉良家の犠牲となられた家臣の俗名です
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