東京都墨田区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 墨田区向島5-4-4 (長命寺) 墨田区登録文化財 成島柳北の碑 成島柳北は幕末明治の随筆家であり、実業家です。天保8年(1837)江戸に生まれました。18歳のとき、家職をついで侍講に進み、将軍家茂のために経書を講じました。慶応元年(1865)以来次第に重んぜられ外国奉行となり、会計副総裁に進み、幕政に加わりました。幕府崩壊とともに職を退き向島の地に暮らしました。慶応5年(1870)東本願寺の法主に従い訪欧、翌年慶応6年(1871)に帰朝後、公文通誌が朝野新聞と改題され、紙勢を拡張する機会に社長として迎えられ、雑録欄を担当して爺を風刺し、大いに読者を喜ばせました。また、外遊の折、修得した生命保険制度の知識を生かし、日本の生命保険制度の草分けである「共済五百名社」(明治安田生命の前身)の創立に協力。明治17年(1884)11月31日、48歳で没しました。この碑は実業家としての柳北の功績を記念し、明治18年(1885)に建立されました。 平成18年(2006)8月 墨田区教育委員会 PR |
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永山
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男性
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