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東京都墨田区の歴史
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所在地 墨田区東駒形2-8-1

 篠塚地蔵尊
 この地蔵尊は一條天皇の治世(993-996)、恵心僧都によって像刻されたと伝えられています。当時、北越地方に飢饉が発生していたことから、豊穣・繁栄が祈願され、たちまち飢饉を収束させたといわれます。 
 元弘3年(1333)、新田義貞は北条氏打倒のための兵を挙げましたが、苦戦を強いられました。当時姉ヶ崎に安置されていた地蔵尊の霊験あらたかなことを聞き及んだ義貞は、家臣の篠塚五郎政景に命じて地蔵尊を世良田、(群馬県)に迎え、みごとに鎌倉の北条氏を滅ぼしました。戦勝後、地蔵尊の霊夢に導かれた政景は、本所のこの地に地蔵尊を安置し、堂宇を建立しました。以来、世来田地蔵尊、または篠塚地蔵尊と呼ばれました。
 (『本所区史』には別の来歴が記されています。)
 この地蔵尊に掛けられた布を妊婦の腹に巻くと、いかなる南山もかならず安産にかわる、として人々から厚く信仰されていきました。
 その後、太田道灌がこの地蔵尊に延命山栄壽院の名を与え、徳川家光からも帰依を受けました。以来、安産の地蔵として江戸の人々に知れ渡り、毎月四の日の縁日には多くの参詣者でにぎわいました。大正12年(1923)の関東大震災の難は逃れましたが震災復興計画に基づき、地蔵堂以外の堂宇は現在の足立区竹ノ塚に遷座しました。
 昭和20年(1945)の東京大空襲によって地蔵堂は焼失しましたが、地蔵尊は竹ノ塚に運ばれて無事でした。昭和43年(1968)には旧地の地蔵堂を建て替え、新たに本尊の分体を造立して安置しました。
 平成18年(2006)4月 墨田区教育委員会 地蔵共栄会










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