東京都墨田区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 墨田区東向島3-5-2 (白鬚神社) 寺島ナス かつて、白鬚神社の周辺は寺島村といいました。元禄郷帳(1688~1704)によれば、この地域一帯は、水田を主とする近郊農村でしたが、隅田川上流から運ばれてきた肥沃な土はナス作りにも適し、ナスの産地として、その名も「寺島ナス」と呼ばれていました。 享保20年(1735)の「続江戸砂子温故名跡志」には、「寺島茄子 西葛西の内也。中の郷の先、江戸より一里余」とあり、「夏秋の中の嘉蔬とす。」また、文政11年(1828)の「新編武蔵風土寄稿」には、茄子として、「東西葛西領中にて作るもの」として「形は小なれどもわせなすと呼び賞美す」と江戸近郊の名産であることが記されています。 農家は収穫したナスを船を使って、千住や、本所四ツ目、神田の土物店(青物市場)等出荷していました。江戸時代、悠々と流れる隅田川の東岸。田園地帯であった寺島に、後世に伝えるに値するナスの銘品があったのです。 平成9年度JA東京グループ 農業協同組合法施行50周年記念事業 THE AGRICULTURE OF EDO & TOKYO Terajima Nasu (Egg plant) Terajima village around this Shirahige Shrine was paddy rice areas in the years 1688-1704.Fertile soil carried over from the upstream of Sumida River was also ideal for the egg plant which was popular as "Terajima Nasu".Farmers shipped their products by boats to the markets of Senju,Honjo-Yotsume and Kanda,etc. PR |
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永山
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