東京都墨田区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 墨田区東向島3-5-2 (白鬚神社) 「墨多三絶すみださんぜつ」の碑 墨田川の風物を詠じた佐羽淡斎の詩碑で、大窪詩仏が筆をとったものです。「墨多三絶(←絶の古字)」の篆額は巻菱湖の筆になります。建立年に当たる壬午は、文政5年(1822)のことです。 なお、絶とは五字または七字の四句で一体をなす漢詩のことで、三詩からなるので三絶と呼びます。 この碑(草書)は三囲神社の「本松斎一得翁之碑」(隷書)、隅田川神社の「無琴道人墓銘」(楷書)の両碑を加えて、大窪詩仏の三書体、すなわち『詩仏三碑』として世に知られています。 維舟渡口歩汀名沙来飲祀前売酒家一 道玻璃烟淡抹夕陽猶在半堤花 不借朝南暮北風遊船如織日忽々沙鴎 欲管繁華事閑睡落花流水中 断磬聲中結夕陰堤彎岸繚寺門深 鴎邊柳処元陳迹付与詩人吟至今 上毛淡齋佐羽芳詩壬午冬日書詩佛老人大窪行 平成18年(2006)12月 墨田区 PR |
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永山
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