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東京都墨田区の歴史
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所在地 墨田区東向島3-18-3

  向島百花園
 
 本園は、江戸時代文化2年(1805)頃、佐原鞠塢さはらきくうという粋人が、向島の寺島村で元旗本、多賀氏の屋敷跡約3000坪を購入し、当時鞠塢と親交の深かった一流の文人墨客の協力を得、梅を多く植えたことから、「新梅屋敷」として創設したのが始まりとされています。



 往時は、江戸中に百花園の名が知れ渡り、多くの庶民の行楽地として賑わいました。なかでも、弘化2年(1845)には、12代将軍家慶の梅見の御成りがあり、明治になると皇室関係をはじめ、多くの著名人が来遊した記録が残っています。
 その後、時代の変遷と共に、小倉家に所有権が移り昭和8年(1933)2月、国の「名勝」に指定され、時至って小倉氏の遺志(名勝永久保存のため)により、昭和13年(1938)10月に東京市に寄付されました。百花園を受領した東京市は、衰退著しかった庭園を復旧し、昭和14年(1939)7月8日制限公開にしています。
 この後、戦災で石碑以外は全て焼失しましたが、多くの方々の努力のもと昭和24年(1949)に再び復元。その後、荒廃を余儀なくされましたが初代鞠塢の「群芳暦」を基本に植栽し、昭和53年(1978)10月文化財保護法により「名勝及史跡」の指定を受け、今日に至っています。



 この庭園の特徴は、芭蕉の句碑をはじめ20数基の石碑と園全体の雰囲気が、江戸文人趣味豊かに作庭され、大名庭園とは趣を異にした草庭にあります。また、初代鞠塢の頃から、「詩経」や「万葉集」に因む歴史的草花を植栽し、春や秋の七草をはじめ、四季それぞれの植物が植え込まれ、野趣豊かな庭園となっています。
 江戸の文人墨客をはじめ庶民に愛され、今日まで受け継がれてきた、貴重な財産がこの「向島百花園」と言えます。



This Edo-era flower garden features primarily mountein flowers and wildflowers presented in an elegant and culturally sophisticated manner.It is also home to a number of memorial monuments,including one inscribed with a haiku by Bashou and another with a poem by Yamanoue-no-Okura.



 向島百花園内には『東京市碑』、『日本橋石柱』、『飯島光峨翁之碑銘碑』、『茶筅塚と柘植黙翁句碑』、『大窪詩仏画竹碑』、『其角堂永機句碑』、『芭蕉「こんにゃく」の句碑』、『芭蕉「春もやや~」の句碑』、『雪中庵梅年句碑』、『杉谷雪樵芦雁画碑』、『初代河竹新七追善しのぶ塚の碑』、『福禄寿尊堂』、『北元居士句碑』、『寶屋月彦句碑』、『鶴久子歌碑』、『矢田蕙哉翁句碑』、『螺舎秀民句碑』、『亀田鵬斎墨沱梅荘記碑』、『金令舎道彦句碑』、『月岡芳年翁之碑』、『七十二峰庵十湖句碑』、『芝金顕彰碑』、『千寿庵益賀句碑』、『二代河竹新七追善狂言塚の碑』、『ニ神石碑』、『井上和紫句碑』、『最中堂秋耳句碑』、『山上臣憶良秋の七草の歌碑』があります。
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