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東京都墨田区の歴史
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所在地 墨田区東向島3-5-2 (白鬚神社)

  鷲津毅堂碑
 鷲津毅堂は幕末明治の漢学者です。文政8年(1825)尾張に生まれました。
 通称を毅堂または蘇州と号し、父、祖父ともに大変に徳望篤い人物でした。
 20歳のころ江戸に出て昌平黌に学び、嘉永6年(1853)久留米藩に仕え、次いで、尾張侯の招きに応じ侍読となり、さらに教授に進み、毅堂自身も子弟とともに学問に励みました。時に王政復古となり、藩主徳川康勝の議定官に任ぜられ国論を一定し、覇王の思想を隣藩にまで広めました。明治元年(1868)調停より権弁事を任ぜられ、明治2年(1869)大学少丞に転じます。そして権大書記官五等判事、司法少記官、東京学士会々員に列するなど明治政府の要職を歴任しました。明治15年(1882)司法権大書記官となりますが、同年、10月5日、58歳で歿しました。
 なお、毅堂は永井荷風の母方の祖父にあたります。
 本碑の篆額は三条実美、撰文は三島毅、書は巌谷一六による碑です。
 平成18年(2006)3月 墨田区教育委員会
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