東京都墨田区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 墨田区向島5-3-2 (弘福寺) 墨田区登録史跡 池田冠山の墓碑 江戸時代後期の大名で因幡若桜藩主です。儒学者としても地理物産学者としても著名です。明和4年(1767)に生まれ、幼名を鉄之丞、恒次郎、のちに定常と名乗りました。天明5年(1785)に家督を継いで藩主となり、従五位下縫殿頭に叙任しました。学問は佐藤一斎について学び、古今和漢の書、地誌仏典にいたるまで多くの書に目を通し、また諸芸にも通じていました。訪問する者の貴賎に関係なく接し、幅広い交流をもちました。 享和元年(1801)健康を害して藩主の座を退いたのちは、もっぱら著述を楽しみとし、晩年、冠山道人と号しました。佐伯侯毛利高標、仁正寺侯市橋長昭とならんで文学三侯と称されましたが、天保4年(1833)7月9日、67歳で没し、当寺に葬られました。著書には『浅草寺志』『江戸黄檗禅刹記』『墨水源流』など数多くあります。 平成15年(2003)3月 墨田区教育委員会 PR |
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永山
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男性
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