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東京都墨田区の歴史
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所在地 墨田区両国4-8周辺

 尺振八の共立学舎跡
 尺振八は天保10年(1839)、下総高岡藩の石の子として生まれました。万延元年(1860)22歳の尺はジョン万次郎や英学者西吉十郎らから英語を学び、文久元年(1861)からは福沢諭吉もいた幕府外国方に通弁(通訳)として勤めました。
 尺は幕府の文久3年(1863)の遣欧、慶応3年(1867)の遣米と二度の使節団に随行してじかに西洋文明に接しました。
 とりわけ、アメリカでは雪地、津田仙と共に教育施設も視察して帰国し、やがて諭吉は「慶応義塾」を、尺は明治3年(1870)7月に相生町のこの地に「共立学舎」を開くことになります。
 「共立学舎」は寄宿生英語塾でしたが、英語だけにとどまらず、漢字教育も行った洋漢兼学のバランスのとれた私塾であったために開塾後わずか半年で1000名を越える生徒数を誇りました。
 尺はスペンサーの『教育論』を翻訳した『斯氏教育論』を刊行、自由民権運動の理論書として数多くの人々に愛読され、また未完の『明治英和字典』(死後、英学者永峯秀樹が後を継ぐ)の記述や多くの人材を輩出するなどの業績により、”現代英学の祖父”とも呼ばれ、諭吉と共に近代教育の幕開けを演じましたが、明治19年(1886)11月28日、48歳の若さでこの世を去りました。
 平成8年(1996)3月 墨田区教育委員会






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