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東京都墨田区の歴史
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所在地 墨田区両国4-26 (両国小学校)

 芥川龍之介文学碑
 芥川龍之介は、明治25年(1892)3月1日、東京市京橋区入船町に新原敬三、ふくの長男として生まれました。辰年の日辰の刻に生まれたのにちなんで龍之介と命名されました。生後7ヶ月の時、母ふくが突然発病したために、本所区小泉町15番地(現両国3丁目)に住んでいたふくの長兄芥川道章に引き取られ、13歳の時芥川家の養子となりました。
 芥川家は旧幕臣で江戸時代からの名家で、道章は教養趣味が深く、文学、美術を好み、俳句や盆栽に親しむとともに南画をたしなみ、一家をげて一中節を習い、歌舞伎を見物するなど江戸趣味豊かな家庭でした。
 本所は龍之介の幼児時から少青年期までの大事な時期を育んだ場所で「大道寺伸輔の半生」「本所両国」などの作品にその一端を見ることが出来ます。龍之介は明治31年(1898)回向院に隣接する江東尋常小学校付属幼稚園に入園、翌明治32年(1899)同小学校(現両国小学校)に入学しました。明治38年(1905)府立第三中学校(現両国高等学校)に入学、明治43年(1910)成績優秀により無試験で第一高等学校第一部乙類に入学しました。その後大正2年(1913)東京大国大学英文科に入学、大正5年(1916)卒業しました。東大在学中、夏目漱石の門に入り同人雑誌「新思想」「新小説」に優れた短編を発表して文壇に華やかに登場しました。
  
 

 この文学碑はりゅうのすけの代表作の一つである「杜子春」の一節を引用したものです。この両国の地に成育し、両国小学校で学んだ近代日本を代表する作家、芥川龍之介の人生感を学ぶ氏の文才を偲ぶものとして両国所学校創立百十五周年の記念事業として、平成2年(1990)10月に建立されたものです。

 芥川龍之介文学碑
「-お前はもう仙人になりたといふ望も持っていまい。大金持になることは、元より愛想がつきた筈だ。
ではお前はこれから後、何になったら好いと思ふな。」
「何になっても、人間らしい、正直な暮しをするつもりです。」
杜子春の聲には今までにない晴れ晴れした調子が罩(こも)っていました。」
   「杜子春」より

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