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東京都墨田区の歴史
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所在地 墨田区向島5-4-4 (長命寺)

墨田区登録史跡
  橘守部墓・橘冬照墓

 江戸時代の国学者。天明元年(1781)伊勢に生まれる。17歳のとき江戸に出て、10年余り、芝新銭座または八丁堀に住み、その間はじめて国学に志したが全くの独学であった。29歳のとき武州幸手に移り、40歳をすぎるころより守部と称した。48歳のころ再び江戸浅草弁天山に居を定め池庵と号した。出府後まもなく「山彦冊子」を板行して名声をあげ、以来続続と名著を出し、平田篤胤、伴信友、香川景樹らとならんで天保の四大家といわれた。嘉永2年(1849)5月24日、69歳で歿し当寺に葬られた。守部の学は、本居宣長の学説に対抗する意識をもって成立しているといわれる。すなわち、宣長の「古事記伝」に対し「日本書紀」神代巻および「記」「紀」の歌謡を訳した「稜威道別(いつのちわき)」「稜威言別(いつのことわき)があり、「詞の玉の緒」に対し「助辞本義一覧」などがある。
 昭和45年(1970)11月3日建設  墨田区


所在地 墨田区向島5-4-4 (長命寺)

墨田区登録文化財
  成島柳北の碑

 成島柳北は幕末明治の随筆家であり、実業家です。天保8年(1837)江戸に生まれました。18歳のとき、家職をついで侍講に進み、将軍家茂のために経書を講じました。慶応元年(1865)以来次第に重んぜられ外国奉行となり、会計副総裁に進み、幕政に加わりました。幕府崩壊とともに職を退き向島の地に暮らしました。慶応5年(1870)東本願寺の法主に従い訪欧、翌年慶応6年(1871)に帰朝後、公文通誌が朝野新聞と改題され、紙勢を拡張する機会に社長として迎えられ、雑録欄を担当して爺を風刺し、大いに読者を喜ばせました。また、外遊の折、修得した生命保険制度の知識を生かし、日本の生命保険制度の草分けである「共済五百名社」(明治安田生命の前身)の創立に協力。明治17年(1884)11月31日、48歳で没しました。この碑は実業家としての柳北の功績を記念し、明治18年(1885)に建立されました。
 平成18年(2006)8月 墨田区教育委員会


所在地 墨田区向島5-4-4 (長命寺)

墨田区登録文化財
   芭蕉雪見の句碑

 芭蕉の句碑は、全国で千五百余を数えるといわれますが、その中で「いざさらば 雪見にころぶ所まで」と刻まれたこの雪見の句碑は、最もすぐれた一つといわれています。松尾芭蕉の門人祇空はこの地に庵をつくり、その後、祇空の門人自在庵祇徳は、庵宝に芭蕉像を安置し、芭蕉堂としました。そして、三世自在庵祇徳が安政5年(1858)に庵を再興し、この句碑を建立したのです。
 芭蕉は寛永21年(1644)伊賀上野に生まれ、のちに江戸深川六間堀に芭蕉庵を構え、談林派から出て俳諧の境地を高め、「さび」「しおり」「かるみ」に代表される蕉風を不動の地位にしました。元禄7年(1694)旅先の大阪で没しましたが、其角など数多くの門弟を輩出してます。
 平成18年(2006)8月  墨田区教育委員会


所在地 墨田区向島5-4-4 (長命寺)

風のように踊り 花のように恋し 水のように流れる
                                                  木の実ナナ


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