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東京都墨田区の歴史
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所在地 墨田区東駒形3-23-9 (法華寺)

 たわし石仏
  常護菩薩顕彰の記
 日蓮大聖人は九ヶ年に亘る身延山での御生活の間ご両親をはじめ師匠道善ご坊の追善を祈るため険しき山道なきみち五十丁を登り思親大孝を盡されました。その道中霊狐現れ大聖人の前となり後となり扶けて常に護れり身延山古文書によれば大聖人自ら常護菩薩として勧請せりと傳る。
 
 明治の後期法華寺開山正法院日明上人は師匠と共に初めて身延詣に出発し甲府から徒歩で鰍沢に至りしが前夜束の豪雨で川は氾濫し川止めとなり思案にあまって身延の方向の遥拜していると何処ともなく一隻の小舟が現はれ船頭に手を引かれて乗船しようやく彼岸に渡り船賃を拂おうと振りるしるとふ思議や船も船頭の姿も消えてしまった。やがて身延山の坊に宿をとり床につき夢に
「わしは奥の院に住む常護稲荷と申す者大聖人よりのお言い付けで川止めで難渋しているそち達を迎えに参ったのだ」
と不思議なこの夢に翌朝奥之院に登り早速常護稲荷さまを訊ねると時の別当さん内野は運■が教えてくれたのが山門際の二間四面のお堂であった。亦束日明上人は常護菩薩の分躰を東京本所の大老酒井雅楽守の下屋敷跡(元法華寺境内)に勧請し今日詣者絶えない曽りて東京大空襲の時、灯火管■下は毎夜稲荷堂の扉より火を噴き空襲を事前に知らせ多くの町民を救う霊験顕著なり。
 然るにこの堂宇はいつの世にか荒廃しなに様を祀る堂が判らず特に解体取毀しされる寸前であったが佐々木は行■別当職就任の頃よりその本地が顕彰され利益を受けし篤信者現はれ中里口應別当代に復興成就するに至る。當堂には身延山第七十四世日鑑上人(明治19年寂)筆の「霊応殿」の掲定■が在る。
 昭和52年(1977)5月27日落慶式
 東京墨田区法華寺 石川日鶴 述記


 
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