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東京都墨田区の歴史
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所在地 墨田区江東橋1~緑4

 時の鐘跡撞木橋跡しゅもくばし

ここに架かっていた撞木橋は万治2年(1659)当時の本所奉行徳山五兵衛、山崎四郎左衛門両名によって墨田区江東橋1丁目より、同緑4丁目の大横川に架けられました
 最初は長さ10間、幅2間の木橋でしたが、その後、幾度となく架け替えられ、昭和5年(1330)7月には、鋼橋(トラス)になりました。
 この橋は、大横川親水河川整備事業により、その役目を終えて昭和62年(1987)10月に撤去されました。
 なお、ここは堅川・大横川の交差辻なので、北辻橋、南辻橋、新辻橋などが架けられましたが、北辻橋西側の大横川河岸に「本所時之鐘」の鐘撞堂があったことから、これらの橋は俗称として「撞木橋」と呼ばれてきました。その後、北辻橋が撞木橋を正式に名称とするようになったものと思われます。
 平成11年(1999)2月

堅川と横川の合流付近に、本所・深川のまちまちに時を告げる「時の鐘」がありました。鐘を打ち鳴らす撞木(しゅもく)から近くにあった北辻橋、南辻橋、新辻橋の3つの橋を「撞木橋」と名づけられたが、昭和63年(1988)に撤去されました。
Near the former junction of the Tatekawa and Yokokawa rivers in mid 17th century stood a bell reglarly rung to announce te hours for theHonjo and Fukagawa neghborhoods.Three nearby bridges:Kitatsuji,Minamitsuji,and Shintsuji were called the Shumoku bridges after the wooden hammer (shumoku) used to strik the bell.They were dismantled in 1988.

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