東京都墨田区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 墨田区業平2-13-13 (押上天祖神社) 天祖神社鎮座六百年記念碑 顧みれば本年は戦災を受けて十三年を迎えた。昭和20年(1945)3月9日夜半より10日未明の帝都空襲は實に大規模の爆撃であり、全都に多大の被害を與え、江東地帯は其の渦中にあって一夜にして全くの焼土と化し多数の犠牲者を出した。當社亦社殿及社務所は焼失、鳥居は破壊したが不思議にも神輿庫は大正12年(1923)9月1日の関東大震災で昭和20年(1945)の爆撃にも災を免れた。 當時氏子の住居も全焼し生活も困難の極に在った。 昭和20年(1945)8月15日戦争を迎え爾来十有余年、人々の努力により生活も豊かになり、人心も安定し、町は以前にも増して復興した。氏神の社を一日も早く復旧しようという氏子は茲に御神徳の廣大と今は再び帰らぬ殉難の方々の永遠の冥福を記念し此の記念碑建立の所以とする。 昭和32年(1957)9月15日建之 建碑者一同 恩田眞宏書 PR |
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永山
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