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東京都墨田区の歴史
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所在地 墨田区錦糸4-15-1 (錦糸公園)

 千種稲荷神社
千種稲荷神社は江戸時代此の地が湿地帯であり荒廃のままになっていたが寛文から延宝の20年間(徳川4代将軍家綱の時代)の長きにわたり治水を目的として土木工事が行われ更に其の後この地を武家の下屋敷の敷地として整地を行いなお商家の営業も地域内に許可され加えて横十間川が当時船運の盛んな処であった関係で武家屋敷が横十間川をはさんで両側に軒を連ねていたと云う頃より此の柳島村の守護神として祭られていたものと伝えられて居ります。その後徳川幕府は明治政府に替り明治2年(1869)大政官の布達により従来の武家制度は廃止され武家下屋敷も解体されて農耕地に変わり其の武家下屋敷解体の際にも此の稲荷社は保護されて郷土の守護神として残されました。
其の後政府は陸軍糧秣廠本所倉庫を此の地に建設し其の敷地内に此の稲荷社があり陸軍省は、敷地整地に際しこの稲荷社を取払いし処、其の後倉庫並びに周囲に再三火災発生し陸軍省も面目問題として苦慮を重ね後になり敷地内より取払ったままになっていた稲荷社に気付き旧位置に再建して祀りし処、不思議にも其の後火災等全くなくなりました。大正12年(1923)の震災には此の地一帯は灰燼に化したが稲荷社には少しの被害も受けませんでした。昭和3年(1928)7月18日復興局の手により創設された錦糸公園も開園とあり同じ頃、神田より製菓業者が公園の周辺に集団移住し営業を開始せし処早々より町内に火災多発して町民は不安に苦しんでいた処、或る時静岡県より来られた行者さんが昔より此の地に祀られて有った守護神が公園建設の際園内の何れかに放置されたままに成っているとの言葉に町内有志により探し出し公園課の了解を得て稲荷社を旧位置に祀りし処、其の後火災も無くなり又、商売繁盛、災厄消除当諸々の願いも成就するとて多くの信者が参拝致す様になりました。昭和20年(1945)3月10日の空襲にも此の稲荷社は少しの被害もなく多くの人が境内に避難し戦火を免れました。昭和29年(1954)千種講世話人相計り、戦後荒廃した稲荷社の整備計画が建てられ其の年より、玉垣、鳥居、参道、水屋、石燈籠、本殿の増改築等遂年に渡り工事を重ね境内の整備を完了した次第であります。昭和30年(1955)5月18日付を以って右建物一切を東京都の申し出により都に寄贈致し保存と管理を千種講が委任されました。その後昭和40年(1965)4月から墨田区の公園となりました。
昭和50年(1975)千種講より春秋2回にわたり吉野桜を区の公園課に寄贈し、よりよい桜の公園として其の景観の向上を願っている次第であります。
 (趣文 真宗末一・千種稲荷由来記より) 













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