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東京都墨田区の歴史
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所在地 墨田区向島2-5-17 (三囲神社)

筆祖 秦蒙将軍もうてんしょうぐんの碑

 光緒8年(1882)清の名筆 揚守敬撰書
画像は応挙筆  明治16年(1883)除幕

 三囲でも著名な名碑のひとつ 光緒は中國清の年号
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所在地 墨田区向島2-5-17 (三囲神社)

墨田区登録文化財
 石造神狐

  三囲のコンコンさん
 目尻のさがった温和な表情をここいら辺の職人言葉で「みめぐりのコンコンさんみてぇだ」と言ったそうである 向店は越後屋本店(ほんだな)の道をへだてた向いにあって木綿を主に扱っていた
 享和2年(1802)の奉納


所在地 墨田区向島2-5-17 (三囲神社)

  其角惜春の句碑

山吹も柳の糸のはらミかな 晋其角
天保6年(1835)建立


所在地 墨田区向島2-5-17 (三囲神社)

  日比翁助ひびおうすけ 石垣の歌碑 

 いしがきの 小石大石持合ひて 御代は
 ゆるがぬ 松ヶ枝の色 日比美勲

日比翁助は号を美勲と称し 三越呉服店の会長 わが国 近代的百貨店の創始者であった
 茲来100年 松を新たに植え 旧観を復した


所在地 墨田区向島2-5-17 (三囲神社)

  富田木歩句碑

夢に見れば死もなつかしや冬木風 木歩

(裏面)
大正拾三年(1924)9月1日の1周年に於て富田木歩君慰霊の為建立
 友人一同
 亜浪書


所在地 墨田区向島2-5-17 (三囲神社)

墨田区登録文化財
 宝井其角「ゆふたちや」の句碑(雨乞の碑)

 元禄6年(1693)は大変な干ばつで、秋の収穫を心配して困りきった小梅村の人々は三囲神社に集まり、鉦や太鼓を打ち雨乞いをしていました。ちょうど三囲神社に詣でた俳人室井其角が、このありさまをみて、能因法師などの雨乞いの故事にならい「遊ふた地や田を見めぐりの神ならば」と詠んだのです。この話は其角自撰句集の『五元集』にも「うたえば翌日雨降る」と記されているように、早速効果があったと伝えられています。
 室井其角は寛文元年(1661)江戸に生まれ、姓を榎本、のちに宝井と称し、芭蕉門下第一の高弟として知られ、とくに洒落風の句を得意としました。この碑は安永6年(1777)に建立されたものが摩滅したので、明治6年(1873)に再建されたものです。
 平成18年(2006)12月 墨田区教育委員会


所在地 墨田区向島2-5-17 (三囲神社)

  木遣音頭きやりおんどの碑
 地面をつき固める「タコ」を形どり、上部に木遣音頭の来歴、下に町火消の名前が列記してある  明治8年(1875)建立

 左右にある副碑は戦災による損傷が著しいが共に明治初年(1868)の町火消の貴重な足跡を示している


所在地 墨田区向島2-5-17 (三囲神社)

数拳かずけんの名手
  野崎車応追悼碑

 太田南畝(蜀山人・四方赤良)の漢詩を冒頭に置き
  ひらく手の五ゥは勝なり梅のはな
と続く 「五ゥ」の「ゥ」は「五」の読みを示す
ふり仮名であって「うっ(打っ)」の意味である
 文化9年(1812)の建立


所在地 墨田区向島2-5-17 (三囲神社)

 老翁老嫗の石像

 元禄の頃、この三囲稲荷にある白狐祠を守る老夫婦がいました。願い事のある人は老婆に頼み、老婆は田んぼに向かって狐を呼びます。すると、どこからともなく狐が現れて願い事を聞き、またいずれかへ姿を消してしまうのです。不思議なことに、他の人が呼んでも決して現れることがなかったそうです。
 俳人其角は、そのありさまを「早稲酒や狐呼び出す姥が許」と詠んでいます。老婆の没後、里人や信仰者がその徳を募って建てたのが、この老夫婦の石像であると伝えられています。老嫗像には、「大徳芳感」、老翁像には「元禄十四年辛巳五月十八日、四野宮大和時永、生国上州安中、居住武州小梅町」と刻まれています。
 平成18年(2006)12月 墨田区教育委員会


所在地 墨田区向島5-3-2

黄檗宗
 牛頭山 弘福寺



隅田川七福神 布袋尊

 黄檗宗弘福寺は、300余年の昔、名僧鉄牛禅師によって創建された。黄檗宗は禅宗の中でも中國色の強い宗派として知られ、当寺に布袋尊の御像が安置されたのも、実はその黄檗禅の性格に深くかかわるのである。
 布袋尊は、唐時代の実在の禅僧である。常に大きな布の袋を持ち歩き、困窮の人に会えば袋から財物を取り出しては施し、しかも袋の中身は盡きることがなかった。その無欲恬淡として心の広い人柄は、真の幸福とは欲望を満たすことだけではないことを、身をもって諭したうと有徳として、世人の尊崇を受け、七福神としても敬われたのである。


                           布袋尊石碑

咳や口中の病に効くと信仰されている「咳の爺婆尊」があり、隅田川七福神の布袋尊も祀る。

Home to a statue believed to be effectibe in combatingacoughs and oral disease,Koufuku-ji Temple is also dedicated to Hotei,one of the seven gods of fortune associated with the Sumida-gawa River.



  勝海舟が、19歳から4年間、弘福寺で禅を修業したと伝えられる。



 弘福寺境内には『翁媼尊』、『桃東園墓』、『池田冠山の墓碑(墨田区登録史跡)』、『風外古佛の碑』、『寒葉齊 建部綾足墓』、『南宮大湫墓』、『8代鳥取藩主 池田斉稷墓碑(亀趺円頭墓碑)』、『越後与板藩主井伊家墓所』、『林東溟義卿墓』があります。


所在地 墨田区向島5-3-2 (弘福寺)

  越後与板藩主井伊家墓所


初代 井伊直矩なおのり (彦根藩主 井伊直興なおおきの四男)
  遠江掛川藩(三万五千石) 第4代藩主
  越後与板藩(二万石) 初代藩主


2代 井伊直陽なおはる (井伊直矩の長男)

4代 井伊直存
なおあり (伊勢桑名藩主 松平忠雅の五男)

6代 井伊直朗
なおあきら (井伊直存の三男)

7代 井伊直暉
なおてる (彦根藩主 井伊直幸の子直広の子)

8代 井伊直経 (井伊直朗の七男)

9代 井伊直充
なおあつ (井伊直経の長男)


所在地 墨田区向島5-3-2 (弘福寺)

  翁媼尊
 この石像は、風外禅師(名は慧薫、寛永年間の人)が相州真鶴の山中の洞穴に於て求道して居た折、禅師が父母に孝養を尽くせぬをいたみ、同地の岩石を以て自らが刻んだ父母の像です。禅師は之を洞内に安置し恰も父母在すが如く日夜孝養を怠らなかったといわれております。小田原城主当山開基稲葉正則公が、その石像も温容と禅師の至情に感じ、その放置されるを憐れみ城内に移し供養していましたが、たまたま同公移封の為小田原を去るに当り、当寺に預けて祀らしめたものです。
 尚、古くよりこの石像は咳の爺婆尊と称せられ、口中に病のある者は爺に、咳を病むものは婆に祈願し、全快を得た折には、煎り豆と番茶を添えてその礼に供養するという風習が伝わって居ります。

 


所在地 墨田区向島5-3-2 (弘福寺)

墨田区登録史跡
 池田冠山の墓碑

 江戸時代後期の大名で因幡若桜藩主です。儒学者としても地理物産学者としても著名です。明和4年(1767)に生まれ、幼名を鉄之丞、恒次郎、のちに定常と名乗りました。天明5年(1785)に家督を継いで藩主となり、従五位下縫殿頭に叙任しました。学問は佐藤一斎について学び、古今和漢の書、地誌仏典にいたるまで多くの書に目を通し、また諸芸にも通じていました。訪問する者の貴賎に関係なく接し、幅広い交流をもちました。
 享和元年(1801)健康を害して藩主の座を退いたのちは、もっぱら著述を楽しみとし、晩年、冠山道人と号しました。佐伯侯毛利高標、仁正寺侯市橋長昭とならんで文学三侯と称されましたが、天保4年(1833)7月9日、67歳で没し、当寺に葬られました。著書には『浅草寺志』『江戸黄檗禅刹記』『墨水源流』など数多くあります。
 平成15年(2003)3月  墨田区教育委員会


所在地 墨田区向島5-4-4

天台宗
 宝樹山 遍照院 長命寺

隅田川七福神 弁財天


 当寺の寺号の由来については有名な故事がある。その昔、3代将軍家光が墨水沿岸で鷹狩を行った際、急に病を催し、止むを得ずこの寺で休息することになった。そして境内の井戸水で薬を服用したところ、たちまち快癒したので、家光は霊験に感じ、長命水の名を捧げた。以後、長命寺と改めたのである。
 長命寺に弁財天をまつるのは、その長命水に関係がある。弁財天はもともと天竺の水の神であったからである。佛教とともに渡来してきてからは、次第に芸能の上達や財宝をもたらす信仰が加わり、七福神唯一の女性神になったのである。

Choumei-ji Temple received its name after the shogun Iemitsu recobered from stomach pains upon drinking medecine with its water,which was nemed "water of long life "(choumei-sui).

 長命寺境内には『荷塘道人圭公傳碑』、『我興乃蘇鉄の碑』、『橘守部墓・橘冬照墓』、『五狂歌師の狂歌碑』、『好色院道楽宝梅居士の辞世句碑』、『江戸桜の碑』、『山村一蔵先生碑』、『守川周重の句碑』、『初代鶴澤清六之塚』、『勝川春英翁略伝の碑』、『成島柳北の碑』、『鼠取養犬 六助塚』、『退鋒郎毛君疼髪塚銘并序の碑』、『鏑木渓庵之碑』、『藤田呉江先生の碑』、『南無阿弥陀仏碑』、『芭蕉雪見の句碑』、『梅陰先生大黒君碑』、『筆つかの碑』、『万冶2年銘庚申塔』、『孕山堂江雨燈影の碑』、『疼雲山居士故帋碑』、『木の実ナナ歌碑』があります。


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